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auguryの世界を憎むチラ裏。

日々生きにくくなる日本で、自分がすべきこと。

2017年日本国における女の勝利と愛の搾取と精神衛生

根源的愛の欠如した日本人が増えている。これは日本女の子育てが悪いし、日本女を持ち上げつけあがらせ優遇する全ての産業界とメディアマスコミ判例のせいである。男と違い平等という概念の欠如した女はどこまでも社会全体を女有利の社会文化に変革する。全ての責任を社会に押し付けるのは自らが弱者であるという論理だが、女は弱者であるという言説の元で強者になったのが今の2017年日本社会である。こんな社会になったのは体育会系と強者に都合のいい社会、つまり右翼に都合の良い社会にする方向に女の同調圧力は機能する。そもそも男性と異なり女は(特に)異性の弱者が死のうがどうでもいいのであって、社会的弱者を始め、肉体的弱者、容姿の弱者、能力の弱者、コミュニケーション能力弱者、就活弱者、家柄の弱者の男性は社会全体としてどうでもいい存在として扱われるという論理がここに展開していると思われる。ドクター差別のような勇者がどんどん現在の女尊男卑社会日本をぶち壊し、若者ネット文化全盛の圧倒的世代の価値観の差異を理解する能力もない老人が支配する日本社会をぶち壊さねばなるまい。同調圧力はテロやデモを抑制し、反逆を抑制する。すべて女のせいだ。女にモテないから抑制する。女にモテるというのはセックス出来るか否かではなく、女に気に入られるか、女から好意を持たれるか否かが、社会生活全体として非常に重要になった社会である。それが同性の評価や世代同士の評価にも関わり、ホモソーシャルな文脈の中では当然だが、日本ではそれが過度に亢進している。膣壁に肉塊を挿入する行為を求めているというよりも、性は社会に参入できているか否かを判断する指標となり、それは股を開けば恋愛できる女には適用されない。ここでも男性弱者の社会日本が、女よりも根源的愛が欠如しやすい構造が存在する。女は人生イージーモードという通り、ただ女性器がついているだけで性欲との分離の問題はともかく周囲の人々から根源的愛の獲得は容易にできやすい。しかし男性はただ男性器がついているだけでは愛されることはない。しかも女よりも心身ともに丈夫であるという神話や、男はより危険をリスクを取るべきという旧来のジェンダーによって根源的愛の獲得は困難になることは多いと考えられる。まあ現代はそうした事情がネットを中心に理解され、今の若年男性は恋愛や結婚などの男女交際自体を回避する傾向が増加してきているということもある。つまり根源的愛が欠如した男性のその獲得は、従来は恋愛や結婚だったものが、それがいじめやリンチ、出る杭の打ち合いといった、より非コミュニケーション的なものへと変容してきたのではないだろうかと思う。前回の記事の通り、日本社会には、根源的な愛の欠如したヒトは多い。幼少期に十分な自己肯定感が育たず、死ぬまでそれを出会う他人全てに盲目的に求めるがゆえに他人に慢性的に不満と迎合を繰り返す性質だ。それは根源的なものなので絶対にヒトである限り解消を求める。従ってそれが恋愛や結婚といった全人的で長期的な関係を基盤としたコミュニケーションにより解消するのではなく、むしろ本人とは無関係に愛の欠如した集団で自己顕示欲や愛を満たし合うネットや学校や会社や日本人集団内におけるありとあらゆる地位の力量差を図りそれを根拠とした「いじめ」に結びつくのだ。産業としてそれを満たすのは性風俗業を始め、アニメ・マンガゲームがそれであろう。ヒトは産まれた時には愛の器は空っぽである。それが満たされるためには長期的に渡る無条件の親に相当する者の愛情としつけによって満たされる。それが不十分なのは親もまた心が満たされていないからだ。負の連鎖は残念なことだが経済的格差とも直結している。一般に社会階層が高いほど、子供の精神衛生も健全に育つ傾向はあるように思える。それは周囲の養育環境に携わる人々も健全な人々の割合が相対的に高いことが予想できるからだ。しかし人生は一度きりである。どんな環境でも、周囲の嫌な奴全てを蹴落とし、一人だけ生き残ればいい。自分以外はどうでもいい。孤高の勝利者となり、見返してやれ。それがこの精神搾取陰湿世界一ジャップランドで生き残る唯一の方法なのだと信じて。