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auguryの世界を憎むチラ裏。

日々生きにくくなる日本で、自分がすべきこと。

コミュ力の圧倒的欠如は悪か?

そもそもコミュ力は本人の責任じゃない。これをもって悪でないと断言することは難しい。善悪は所詮イエローモンキーの多数派が少数派より都合が良くなるように決めた自分勝手な都合にすぎない。そもそもコミュ力がないとは、他人と関わりたくないし他人がイラつくし全員死んで欲しいがそれを言うだけのパワーや勇気や根性や度胸が無いという意味なのである。コミュ力がない原因は他人への敵意や憎しみが起源である。それはつまるところ、愛の欠如による自尊心の根底的欠如、養育環境における安定的な無条件の愛の獲得の欠如が原因であり、本人の責任ではない。ヒトは生まれてから、自分を愛することを親を中心に学ぶ。それが与えられないと生涯そのヒトは無条件の愛の欠如を埋めるために自分を犠牲にしてまで盲目的に愛を求め続けてしまう。愛を求められないから他人に愛を求めるがそれが母親や父親が与えるべき愛であって、それ以外の他人が無条件の愛を与えるのは不可能である。従って生涯不満を抱いて他人と関わる一方で他人に媚びを売る。このアンバランスさ、不調和によってヒトはコミュ障となる。一方で他人に気に入られないと死ぬほど辛い、しかし他人は自分を親のようにチヤホヤしてくれない、だから常に他人が嫌いで憎いが、人間の根底的愛の欠如を求めるがゆえに、その憎い他人の言うことをホイホイきいたり、気に入られるような振る舞いをして自分を犠牲にする。その結果、引きこもりやうつ病や糖質や神経症や殺人や自殺をする。正常な無条件の自尊心を持つ健常者はそこまででもないが、そういう愛の欠如した9割の日本人が同一集団内にいるとたちまち杭の打ち合い、愛の奪い合い、すなわちいじめに発展する。日本人のいじめは世界一陰湿で醜悪であって、その結果ますますコミュ障が量産されていく。コミュ障かコミュ障でないかは程度や環境の差でしかないのがこの鬱苦しい国日本国の正体である。だからコミュ障でもいい、コミュ障はむしろぬるま湯に浸った大勢のイエローモンキーが思考停止脊髄反射で充足する社会に生きる中で死ぬほど考え思考し模索した賢者であり孤高の哲学者なのだ、彼らは誇っていい。そして自意識の檻の中で死ぬまで思考停止の畜群どもを見下し一人悦に浸ればいい。その代償は圧倒的勝利だ。愛の欠如によって圧倒的勝利を手にしなければならない。だからこの手の人種は生きるのが辛い。それは選ばれし賢者だから当然だ。その過酷な環境で圧倒的能力とともに圧倒的勝利を手に入れ、思考停止の三流を見下し、勝利のスペックを手に入れろ。